現場を観てできた作品

「この世界の さらにいくつもの 片隅に」を観た。「この世界の片隅に」も観ている。前作は、まことに不思議な感覚を得た。戦争の時代って、こんな感じだったんじゃないかと。

劇場にて

笑があり、普通に一生懸命に暮らす。異常ではあるが、嘆いてばかりはいられない、そんな状況があったのではないか。僕は、その原因が原作まんがにあると思っている。片渕監督は、原作というガイドに助けられてこの作品ができたのである。

また監督の片渕須直さんは、現地に足しげく通い、スケッチをし、聞き取りをしたという。その中で、片渕監督は、原作に根付く「生活」を意識して構想を練り上げていったのではないかと思う。

戦死のシーンがある。主人公すずの(すずにとっては厳しい)兄の戦死だ。石だけが骨箱に入れられて送られてきた。しかしそのシーンで余りにも、暗さのなさを感じた。憲兵隊にすずが軍港をスケッチしていてたしなめられるところ。後で、その場面を大笑いする家族もあった。

戦争とはもっと厳しく、悲しく、残酷であったのではないかという人も必ずいると思うが、僕は、普天間基地の周りを歩いていて、現地の人が「嘆いていてばかりでは、生活できない」という言葉に驚いたのを思い出す。僕には、その日常こそが、今に通ずるものであり、怒りの素材がこめられ(蓋をされ)たものだったのではと思う。それが、まさに現実だと。

今回は、「さらにいくつもの」が加わった。30分の尺が加わり、一大長編となった。この30分では、一人キャラクター(とそれにまつわる人)が加わっただけである。それだけで、ここまで、内容を変えられるのかという驚きを感じた。「掘り下げた」と言ってもいいが、映像世界が変わってしまった(そう見えるだけかもしれないが)のだ。僕には、初めての体験だ。

そして、片渕監督については、どうしても触れておかなければならないことがある。彼は、東日本大震災の「花は咲く」という歌のアニメーションを製作しているのだ。ぼくには、吐き気をもよおす歌である。何も解決しない、させない、何も明らかにしない、現実に蓋をする歌である。製作したアニメは、本当にたわいのない、くだらないものだ。(ニコニコ動画で流れている)。片渕監督は、福島や被災3県を歩き、被災者の話を聞いていないと思う。聴いたとしても、思考がどこかで止まったまま、あのアニメを作ったとしか思えない。

作品の力は、いかに現場を観たかで決まる。

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