僕の映画がおもしろくないのは、なぜか?

大島 新(あらた)監督の「なぜ君は総理大臣になれないのか」(119分)を観た。

おもしろかった。と同時に複雑な気持ちになった。実は、拙作「選挙が生まれる2・東京 私たちは歩き始めた」(68分)の山場である2017年10月衆議院選挙は、大島監督のこの作品の山場でもある。小川淳也氏が選挙区で敗北した(比例区で復活当選)時刻、10月22日というか23日の午前1時に、僕は東京小選挙区6区の落合貴之事務所(立憲民主党)で取材をしていた。まったく同時刻に、同じトピックを追いかけていたわけだ。

しかし、大島監督の映画の方が圧倒的に面白い。

拙作は、手前味噌だがよく頑張って作れたと思っている。内容にも不満はない。もっと言えばよくできていると自分では思っている。しかし、この前作の「選挙が生まれる 長野と群馬の挑戦」(70分)の半分もDVDが売れていないのである。つまり、評判はいまいちであった。

なぜなのか。もちろん、大島監督に技術では太刀打ちはできない。そこもあるけど、もっと違うところで大きな違いがあるような気がする。

それは大島監督が、小川淳也という「人」を追いかけたからだろうと思う。大島監督は、小川淳也という政治家にほれ込んだ。彼の熱意に。そして、小川氏を徹底的に長い時間をかけて追いかける。両親もお連れ合いもお子さんも周辺の人たちをもことごとく追いかけた。マスコミをシャットアウトした場面でカメラを回すことができたことが、小川氏が大島監督をどれだけ信頼しているかを証明している。

そして、熱意だけでは思いを遂げることができないという現実を小川本人につきつける。おそらくこの現実が、タイトルに結びついてのではないかと思う。

民進党議員が希望の党事件に巻き込まれた問題が起きたとき、僕も全く同じ光景を前にカメラを向けていた。小川氏は、希望の党から選挙に出ることを決める。その過程の小川候補の悩みを大島監督は、見事なまでに表現している。僕は、希望の党に流れた政治家を追いかけなかった。追いかけたのは、立憲民主党から野党共闘候補として立候補した候補者を推す「人たち」だ。その違いがある。しかしこの違いが、決定的なのではないと思う。ぼくには、もっとやりようがあったのではないかと思う。

僕の作品を上映会で観た方の感想、「この映画は、事情が分かる方しか見ないね」。がすべてを語っていると思う。起きていることだけをなめるように追いかける「だけ」ではいけないのだ。そこから、生まれるものは小さい。

 実は、「事実を先ずは追う」という手法は今でも僕のやりかたで、選挙後の沖縄の連作も同じような撮り方をしている。そして今回初めて、石垣島に絞った作り方で第3作を作っている。しかし、誰か一人をという追い方ではない。ハルサーズという3人の若者たちだ。まだまだ、追いかけ切れているという実感がない。

 何が足りないのか。

 それを探して、1800km離れた石垣島に通っているような気がしてならない。

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