コロナ危機の最中を「録る」「撮る」

コロナ危機の最中を「録る」または「撮る」ことについて、孤独になる必要はないし、できうれば、気持ちの上だけでも孤独にならないほうがいいと思うのです。3・11の時、かなり追い詰められ、孤独になったジャーナリストは多かったのではないでしょうか。

今が、まさにそうではないでしょうか。しかし、今こそ撮らなければいかん時だと思うのです。この時は、そうやってこないから。

僕は、あした、劇団に取材に行ってきます。こころよく取材を了承していただけました。大変だと思うのですが。

僕は、3・11の時よりももっと、事態の本質にせまりたいのです。3・11は結局かくされ、あきらめさせられつつある。まだ、あきらめては、決していけないけど。でも、「復興」が旗印となり「汚染」はどこかに消えようとしている。セシウムの半減期だけでも30年なのに。福島の山肌は、かなりの放射線量です。

今回のコロナでは、かなり政府はぼろをだしています。事態の収拾ができないのです。やっと検査が東京で100を超え、急に300に行った。変だと思いませんか?

少しだけ検査量が増えた。ということは、少しだけ東京の場合、検体が増え、分析が可能になったということです。

まだまだ続きます。

記録していきたいです。

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