コロナ報道の難しさ

コロナ報道は、難しい。世のジャーナリストは、プロを含め、この「難しさ」をどう感じているだろうか?

3・11と比較する。3・11もかなり難しいと思う(進行形である。)。

コロナの難しさ、思いつくまま列挙してみると、
1、見えないのは当然として、数値化しにくい(放射線の方が、まだ数値化できる)
2、「被害」が見えにくい。解雇等の悲惨さが、深層に沈んで庶民に見えづらい。
3、3・11の時と同じ、「メディアだのみ」「行政頼み」になっている。まだ3・11の時の方が、集会で情報交換できた。
等であろうか。

おそらく、業種別の情報交換が精いっぱいなのではないだろうか。

僕は、この間、「休校」「国会前」「市民連合の野党への要求」「劇団(青年劇場)」と4本報道ニュースをアップしたが、思いつくままで、まだまだ系統性、取材の方向性が見えてこない。福島のときもそうだったような記憶がある。しんどかったのは、あの時も同じだ。

ただ、違うのは、福島という経験をしていることだと思う。福島以降も、安保法制、共謀罪、野党共闘、沖縄などかなり凝縮された政治情勢が現れた。それも、今つまっていると思っていいのだろう。

ジャーナリストにとって、頭をフルに使わなければいけない時のような気がする。というか、そう断定していいのだ。(ジャーナリストに限らないが)

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