市民めでぃあ日記①         計画性の無さに不安を感じながら結構楽しんでいる

「市民メディア」という世界の仲間に入れてもらって、20年もたってしまいました。その間何を学んで、何をやってきたのか、はなはだ自信がありません。変わったのは機械。しかし、変わらないのは「腕」。そして悩みが尽きない事。なのになんで20年続けてこられたのか。凝り性の性格もあると思います。課題の連続ということも。でも、苦しさの中に一抹のスリルもあります。それがたまらないのかもしれません。

ただ、ずっと変わらない悩みは、やはり一人なので情報量が極端に少ない事。また、自分ができていないことがわかっていないこと。そこは、笑えません。でも、「一人」のリスクは、乗り越えなければならない最大の問題かもしれません。

これまでは、「なんとかなる」とか「一人だからいいこともある」でやってきました。でもそうも言ってられないと、新作の製作過程でしみじみと感じています。そこでこの「市民めでぃあ日記」というのを始めました。

反応が欲しいのです。映画製作についての。また、時には文句も言ってみたい。双方向の関係性はそんなに欲しくはありません。情報がほしいのです。そこで、僕が映画の製作過程で感じた疑問や意見をつれづれなるままに書きつられねていきたいと思っています。

ご意見、そのつど、お待ちしてます。

そこで、まず挙げたいのが、登場人物との「距離」です。新作「島がミサイル基地になるのか 若きハルサーたちの唄」を製作し始め4年。この「距離」に酔いしれて作り続けてきたと言っても過言ではありません。完成はしましたが、本音を言えば、まだカメラを回したい、です。でも、コロナがもたらしたあまりにも大きな影響から、断腸の思いでクランクアップしました。今まとめることが僕のたたかいでもあると感じたからです。

この内容、続きを書いていきます。よかったらお付き合いください。

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