福島 2025年3月

あれから14年。毎年1回は、この時期の福島を訪れ、定点観測、記録を撮ってきた。
浜通りから、飯舘村を通り福島市、そして郡山。やはり来てよかったと思う。それは、記録を撮っておかないと、本当に風化してしまうからだ。それほどの重大な事態が、福島では埋もれ始めている。


3月13日、浜通り
相馬郡南相馬市小高
南相馬市立小高中学校の元数学科教員江井伸夫さん、震災当時教務主任だった。その時を思い出し語った。「政治家に言いたいですよ。あなたのふるさとがなくなったら、どうしますか」と。


双葉郡双葉町~大熊町
常磐線双葉駅の西側が「解放」された。しかし、数分車を走らせると「帰還困難区域」の看板に出会う。国道6号線を大熊町方面に下る。左側(東側)には、福島第1原発の排気塔が見えた。大熊町に入ると手持ちの線量計の数値がどんどんあがり、2マイクロシーベルト/時を超えた。放射線量の数値は、確かに下がってはいるが、それは駅や市街地などの除染を行ったところだけだ。山間部の線量は、まだまだ高いままだ。


双葉郡富岡町
神奈川県から移住してきた元教員がここで「駄菓子屋」を始めたというので、早速会ってみた。この日は駄菓子屋の休みの日だったが、わざわざ店をあけてくれた。五味敏之さん。福島に通ううちに、子どもたちの居場所を作れればと思い、この場所に「駄菓子屋」をつくったという。


3月15日、福島市
「2025原発のない福島を!県民大集会」の参加した。1000人の人が、県外からも参加した。集会には沖縄から全港湾労組が参加していた。青年部長の新里良平さんは、「辺野古に全国から支援の参加があります。僕もこのような形で福島を支援していきたい」と語った。集会では高校生平和大使の長澤華咲さん(高校2年)は、「廃炉の問題、本当に実現が可能なのだろうか」と発言した。また、二本松営農ソーラーの近藤恵さんは、ソーラー発電について負のイメージがある中で、営農しながらのソーラ発電を県として支援していくことの方向性を発言した。
参加者の福島県教職員組合郡山支部長の佐藤禎仁さんが言うようにこれまでの被害の主張から、これからどうしていくのかの提案のあった集会だったと私も感じた。
政府のエネルギー政策は、石破政権のもとで40年以上の稼働の可能性と20%以上の稼働率をめざすという福島以前の状態を上回る方針が設定された。福島を忘れないから、福島後の提案を市民の側から問うていく時代に完全に入っているといえる。(憲法集会を前に 25,5,2)

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