石垣島にあるものは 今の日本だ

ここ数日、この間の資料の整理に追われている。資料とは、映像であり、新聞記事であり、その他であり。取材や上映会の中で入手したものである。

写真は、新聞記事のファイル。1か月ごとにまとめてある。新聞は沖縄タイムス、八重山毎日新聞、東京新聞、赤旗。8月は、市長選挙があったので、まだまとめきれていない。このままでは、8月だけで2冊のファイルになりそうだ。

本当は、昨年11月の「石垣市住民投票を求める会」の解散式までの映像をまとめた「拝啓 住民投票さま 石垣島のまんなかで起きたこと」(46分、DVD頒布中、自主上映会各地で開催中)が、石垣島の映画製作の最後となるはずだった。その時は、このあとは原発か九州の基地問題をテーマに考えていた。しかし、そうもいかなくなった。

僕にそう思わせたのは、8月の市長選挙である。当選した元職の中山市長である。この方の下で、市民はどう生きていくのか、いけるのか。これは、傍観できる内容ではない。すでに始まっているかもしれない、この国の現実なのかもしれない。と、直感した。

それは、今回試みた一般市民への街頭突撃インタビューでも感じた。中山支持をあっけらかんと、自信をもってこたえる若い人たちや女性がいた。彼ら、彼女らは、中山市長の何に惹かれているのだろうか。それは、生活への安定性への希求なのかもしれない。また、中山氏の持つ自信ありげな「強さ」へのあこがれなのかもしれない。

ただ、一方で、石垣島の生活は大きく変わりつつある。まだ、本格的にすべての島民の前に現出してはいないが、リゾート開発による自然環境の変化、利便性をうたった空港や港の整備、これは基地に大きく依存する政治の反映である。また、前者も大規模開発に頼ってしまう社会の在り方の反映である。これは、まさしく今の日本のすすみゆく道だ。

やっと昨日、11月の取材方針を決めた。僕の中では、かなりくすぶっていた。できるのか、やるのか本当に。本当に、もう一本作るのか。作れるのか。実は、まだくすぶっている。こういうときは、動き出してから考えてきたのがこれまでの自分だが、なんとかそのような映画の作り方から抜け出したいという気持ちもある。

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