アブナイ時代を描くということ

沖縄県知事選挙を取材中。今日は、巨大な台風24号のおかげで身動きがとれない。なので、自分のできる選挙運動ということで、非常に微々たる力だが、昨日、一昨日撮影した映像をネットに上げる作業を昨夜からやっている。

本当にすごい台風だ。僕は5階に泊っているが、ホテルが横揺れするほどの大風というものを、生まれて初めて体感した。そして、台風は那覇の真西を通過して、さっき、目の中に入った模様。そして少し経つと、なんと宣伝カーのアナウンスが流れてきた。両陣営のだ。今日は、街宣はやれないと新聞報道もされているのに、それだけすごい選挙だということだ。

今回の選挙で一番感じたのは、相手陣営の情けなさである。3度目となる小泉進次郎衆議院議員の演説、そして相手候補の演説を全部撮った。そこまでしなければ勝てないのか、そこまでしても勝ちたいのか。そこまで「新基地」を創りたいのか。

僕は、この演説会の後何人かの人に、カメラは置いて話しかけた。なんと、数人は拒否である。なぜだろうか。小泉議員を見に来ただけなのでは、だから話に応じないということではとかんぐってしまう。しかし、その通り、進次郎フィーバーはすごかった。特に女性の人気はすごい。小泉議員が握手だけでなく、サインまでしているのには驚いた。これは、選挙ではなかったのか。

僕は、希望を描きたかった。憲法の危機の時代、大変な時代に入った中でも、地道に生きていく、我慢強くたたかう市民を描きたかった。そこに、映画の価値を見出したかった。しかし、この県知事選で、希望より、危なさが少しずつ大きくなっている。小泉演説会に参加したある女性は、「もう、何を言っても政府は動かない。だったらできるだけ経済に力をそそいだらいい」と語っていた。さらに、おまけに、「本土の人間には何もわからない」と付け加えて。

確かに僕には、わからない。でも、僕の母親はあと30センチずれていたら体を貫通する戦闘機の銃撃を受けていた。毎日のように空襲があり、学校は軍需工場と化していた。沖縄ほどではないが、そのおふくろが生き続けてくれたおかげで、僕の命がある。だから、少しでも長生きしたいと思える。戦争がいやと思えるのなら、「加担」は、絶対にできないと、なぜ思えないのか。

そこを解明しないと映画にはならないのかもしれない。だから、「危機」を描くことが僕の今の精いっぱいのところなのだ。

それにしても、昨日(28日)の玉城デニーさんの街宣は、すばらしかった。

 

 

アブナイ時代を描くということ」への1件のフィードバック

  1. 感動します。湯本さんの熱い想いと緑が丘幼稚園の若い保護者の言葉は胸打ちます。泣けました。必勝~❗デニーさん❗

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