60分になりました。「完成」の基準とは?

制作日誌

新作映画「沖縄と本土 一緒に闘う」の尺が、60分になりました。ある部分を、ばっさり切り捨てました。とても勇気が要りました。2週間前までは、そんなこと考えもしませんでした。しかし、結果的には良かったと思っています。

新作映画より

独りよがりになってしまうのです。この映画がいいかどうかは、4月23日の完成上映会以降の、観てくださった方々が決めることです。僕は、今、その橋渡しを最終コーナーでしているにすぎません。

そう考えていくと、映画作りというのは、作品ができてからも続くのかもしれません。作品の「独り立ち」を見守り、手伝うのも製作者の仕事なのでしょう。

僕は、「コロナウィルス」騒動の真っただ中にいます。しかし、すべて関連しているように思えてなりません。今、3月です。また、「3.11」がやってきた。「今年は、福島に行かないのか?」ともう一人の自分が、問い続けています。行くかもしれない。行っていいのだ。と答えますが、重い腰は今のところあがっていません。

何故だろう?この作品が、あるからだと思います。この作品が、僕には、今一番大事なものです。仕事ではないから、「完成」の基準は明確ではありません。自分が決めるしかありません。しかし、他に委ねられている自分も感じるのです。

これまで、すごく、ふらふらしながら作品を作ってきました。簡単に、決めながら作ってきたような気がします。だから、いい加減にしたくない。前作より、半歩でも前に行きたい。

悔しいのです。福島で、自分はいったい何ができたのか。何もできなかった。そう思わせようとするとても大きな力が押し寄せてくるのですが、そうではないと!跳ね返すエネルギーがこの作品に向かわせます。

今年も沖縄に、石垣島に行きたい。それが、今の自分にできることだと。

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