ほどほどに天邪鬼がいい

僕は、ほどほどに天邪鬼だ。この性格からは逃れられない。僕、そのものだと思っている。この性格があるがゆえに、失敗もし、失敗ばかりであったと言っていい。

この性格が、しかし映画作りを支えている。これまでの作品を見ると、人が扱ったものはあまり扱っていない。

僕は、映画に救われたと思っている。と同時に、映画に逃げたとも思っている。僕は、教員を自主退職した。逃げたのだ。子どもたちも仲間も「捨てた」という側面は忘れてはいけない。しかし、あのまま学校現場にいたら、おそらくつぶされていただろう。心が殺されたかもしれない。そこを、この性格が救ってくれた。

今の社会、見方を変えれば、本当におもしろい。安部みたいな人間を、なぜ支持するのか。そして、生まれた野党共闘運動。安部現象のアンチと言っていい。そのまたアンチが「希望の党」。そのまたアンチが「立憲民主党」。そのまたアンチが「れいわ新選組」。

僕は、今の社会、「一辺倒」が一番危険だと思っている。あいまいのままでいいのか!と批判されそうだが、あいまいではない。一辺倒ではないという頑固さが必要だからだ。もう少し掘り下げると、「民主主義」が一番求められているといってもいい。これが、僕の根っこだ。

僕の映画作りは、「民主主義」の追求でもある。

次作も、その一環だと思っている。

次作「沖縄と本土 一緒に闘う」のワンシーン

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