生きる「張り」を感じた、この数日間

コロナ特措法に賛成し、そして野党共闘で立候補し、当選した立憲民主党国会議員に直接メールでアプローチした。

返事が返ってきた議員もいる。誠実な議員はいるのだ。これまで一緒に安否法制反対、9条改憲反対を唱え、運動してきた仲なのだから。しかしその結果、彼らの情勢の受け止め方や特措法への評価にかなりの誤解があることもわかった。

ある議員は、マスコミ統制について、「衆議院法務委員会は、統制の可能性もあると副大臣は言ったが、参院法務委員会では撤回した」だから賛成したかのようにフェイスブックで書いている。

またある議員は、「法規制は何らかの形で必要」だとこれまでも言ってきたから賛成したと私の質問に答えた。そして彼は、「付帯決議では不十分」とも語った。

おそらく、立憲民主党議員の多くは大きな誤解と混乱をしている。そして気になるのは、どうしてここまで簡単に「誤ったこと」に足並みをそろえられたのだろうかということだ。

同じことを2017年にも感じた。希望の党にこぞって当時の民進党議員が流れた時だ。あの時は両議員総会でほとんど異論が出なかった。もちろんメンバーはあの時と違うが、あの時いた議員も多いはずだ。簡単に誤りになだれ込むことに、注意する必要性を感じる感覚は身についていないのだろうか。

とても悔しいけど、この数日間は、僕にとってはいい勉強になった。

僕は今、沖縄の離島で起きていることをずっと撮っていて、国会情勢にかなり疎かったが、国会と現場、両方をしっかり見ておかないといけないとすごく感じている。肉体的に大変なことだけど、これからの生きる張りにもなる。

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