「プロ」って、何?

プロって何だろう?って考えるべきだと思う。僕が教員時代は、「プロ意識」は全くなかった。そんな意識になる余裕がなかったからだと思う。子どもとの関わり、管理職との闘いはプロ意識を許さない。

「労働者」意識のみだった。公務員であっても、生産手段を持たない、賃金労働という環境があったからだ。

今の時代、労組が弱体化した中で(「労組」という呼称がダサいのか、ユニオンとよばれるが、労組は労組だ。)、労働者意識はなかなか生まれにくいのかもしれないが、労組の弱体化は労組幹部の責任もあるが、その背景には国家や資本家の戦略があったということを忘れてはいけない。

何度も言うが、生産手段を持たない階級は労働者なのだ。

プロ意識って、くだらないものだと思う。他から、影響されて生まれた意識だ。客観的に、プロとアマの差は、生業としているかいかなと言われるが、形式に過ぎない。何の説明にもなっていないし、悩みや苦しみの解決にはつながらない。何より、何ら必然的でもない。

プロを標ぼうされる方々は、そのことにより、縛られていることに気づくべきだ。そこには、解決の糸口はない。解決(克服)は、労働者の団結と労働基本権の行使以外にはない。

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