78年目にしてやってきた軍事基地

●3月5日:軍用車両搬入、全国集会

今月陸上自衛隊石垣駐屯地(ミサイル基地)の開設を前に、すでに石垣市離島ターミナルには、100台を越える巨大な自衛隊車両が陸揚げされていた。コロナがあけ、観光客がもどってきた石垣市の民間港には、大量の自衛隊軍用車両が集まっていたのである。戦後78年、石垣島には自衛隊基地がなかった。今この島に基地ができる。午前6時、車両置き場(3メートルの高さの壁で仕切られ中は見えない)に数十人の職員が入っていった。2時間後ゲートがあき、自衛隊車両が顔を見せる。沖縄県警の機動隊員が隊列を組み、ゲート前で道を阻んでいた市民を強制的に排除した。そして150台を越える軍用車両(ミサイル発射台を含む)は、2回に分け島の中央部にある陸上自衛隊石垣駐屯地に向け公道を向かった。午後1時半からは本島、沖縄本島からも参加者が参加し「島々を戦場にさせない!全国集会in石垣島」が200人で開催され、集会後市内をデモンストレーションした。

●3月16日:駐屯地開設

陸自石垣駐屯地が開設した。市内3か所の自衛隊宿舎からは、迷彩服を着た自衛隊員が「出勤」する。駐屯地の正門には、自動小銃を抱えた隊員が警備していた。銃の携行は、宮古島では部隊発足当初はなかったという。石垣島では、自衛隊車両の搬入、弾薬の搬入、自動小銃の携行などが、「一気」に行われた。

正門で、「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会(以下、「市民連絡会」)」が、抗議文を読み上げた。夜、展望台から基地の方向を見た。「基地」がこうこうと照っていた。それは、石垣空港のそれより明るかった。2019年3月までその場所は、真っ暗であった。そこは3年前までは、森の中であった。明らかに、島の環境が変わったことを感じる。

●3月18日:弾薬搬入

午前6時。自衛艦「おおすみ」が、石垣港新港地区にある旅客船ターミナルにゆっくりと近づいてくる。通常は、大型クルーズ船がとまる波止場だ。「おおすみ」の艦上では、弾薬を積んだコンテナをのせたトラックが、搬入の準備をしている。弾薬搬入用のトラックが終結するとゲート前に機動隊が集まり、市民への排除がはじまった。その中に、山里節子さん(85歳)がいた。山里さんは機動隊に拘束をうけながら、警察職員に語り、唄を歌い抗議した。唄は、「ヨーヨーヨー」、沖縄のわらべうたの替え歌。山里さんが参加する「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」が、毎週行う基地建設に抗議するスタンディングでも歌っている。

●3月22日:住民説明会 石垣駐屯地に関する住民説明会が石垣市民会館で開催された。主催者がわからない開催要項が発表され、開催直前に防衛省と石垣市の共催ということが明らかになった。16日の部隊発足以前に説明会を行うべきという「市民連絡会」の要請に防衛省も石垣市も一切耳を貸さなかったため、「市民連絡会」は「住民説明会」参加ボイコットを決め、防衛省と石垣市に通告した。1000人の会場はがらがらであった。思いのたけをぶちまけた市民。彼は、「眠っている以外は、仕事をしていても頭から離れられないんですよ。外交努力をもっとしてください」と叫んだ。

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